エゴイスト・ストーリー

出勤前の朝が憂鬱で仕方なかった頃をふと思い出した

枝井です^^

「いつか作ろう作ろう」

と思ってて先延ばしにしてたブログ集客に関するコンテンツが2年越しでようやく完成してひと段落しました(笑)

僕の独自教材の第2弾です。

ブログ集客のコンテンツなんで、アフィンガー6というワードプレスのテンプレートの特典としてお渡ししてますので興味があればどうぞー。

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コンテンツが完成したことで仕事した感を出しつつ、ここ最近は趣味のプラモデル作りに寝る間も惜しんで没頭していました。

まあ、昨今のガンプラ転売問題でもっぱら積みプラ崩し(積んでいるプラモを作ること)に励んでいますが、起きてから寝るまでひたすら手を動かすみたいな感じで。

ただようやく、全塗装のプラモが1個完成した所で何気なしにソファーにボテッと座ってボケーっとしてました。
(燃え尽き症候群みたいな状態です。笑)

「この前まで寒かったのに、いつの間にか春すっ飛ばして昼間は普通に暑いな~」

とか

「今日も朝っぱらから謎鳥の鳴き声聞こえるな~」

とか、そんなことを考えながら何分くらいボケッとしていたか解りませんが、ふと部屋の掛け時計に目をやると午前9時。

「あぁ、そういえば昔はこの時間は老人ホームで働いてたな」

なんてことも考えました。

平日の午前9時、昔の僕は高確率で職場にいました。

どんな仕事内容をしていたのかとかは、もはや思い出せないレベルまで忘れてしまいましたが、その時の「感情」だけはまだまだ覚えています。

介護士をしていた日々を一言で言うと、、、

「落ち着かない」

って感じ。

ずっと誰かに追いかけられながら逃げ回っているような嫌な気持ちです。

しかも逃げても、逃げてもまとわりついてくる。

家に帰っても、電気を消して布団の中に入っても、眠っていても、休日でも、遊んでいても、その「落ち着かない気持ち」がつきまといました。

仕事って言えばタイムカードを押してから切るまでの間だけ拘束されているというイメージですけど感覚的には違いました。

仮にタイムカードを切った後でも精神は仕事に支配され続けます。

出勤時間を終えて開放的な気持ちになってる時だろうと、家でのんびりと仕事を忘れたい時だろうと、容赦なく職場から、上司から、同僚から仕事の電話が入りました。

「なぜこの人達は出勤時間外でも仕事のことばかり考えられるんだろう?」

と、底知れぬ恐怖を感じたものです。

仕事が好きで好きでたまらないとかなら解りますが、日常的に「やめたい」「辛い」とか言ってるのになんでそこまでやるのか不思議でなりませんでした。

ただ、僕も同じだったのかもしれません。

形は違うかもしれませんが、僕の精神も常に「仕事」に支配されていましたから。

電話の着信音が鳴る度に心臓がバクバクして嫌な気持ちになっていたのを思い出します。

着信画面に表示される番号を、いつも恐る恐る覗きこむようになっていました。

職場の連中は

「身体拘束禁止!!」

などと、抜けぬけと綺麗事を言う割りに、介護士としてはもはや365日24時間精神は職場に拘束されているような気持ちです。

「仕事」から解放されたい。

「嫌なこと」を無理矢理行いたくない。

「嫌いな人」と同じ空間にいたくない。

「憂鬱」じゃない朝を迎えてみたい。

常にそのような事を考えていました。

そんな日々が終わりを告げて、ネットで独立してから7年以上が経ち、今では遠い遠い過去の記憶となりましたが、何も考えず時間に追われずボーーーと時が経過するのを感じていると、ふと、あの頃感じていた「落ち着かない感じ」が僕の日常から綺麗さっぱり消え去っていることに気付きます。

・もう、携帯の着信画面に怯えることはありません。

・タイムカードを切って「あと8時間もある、、、」と憂鬱になる事もありません。

・機械のように感情を押し殺してただ耐え続けることもありません。

・寝る前に「あと何時間寝れるだろう」と計算することもありません。

・お金を稼ぐことが人生の目的になり、貴重な時間をすり減らすこともありません。

『自己中心的な生活』

いつも言い続けていることではありますが、これは本当に素晴らしいことなんだなと。

こんな日常が毎日のように続けば「当たり前」になって感謝も薄れると言う人もいますが、7年以上経った今も、この自由な日常への愛しい気持ちは何ら変わりありません。

あの頃と違い、今は毎日が穏やかで落ち着いています。

今この文章を読んでいるということは、あなたもきっと『自由』への憧れがあることと思います。

だとすればまずはすべきは「認知」をすること。

それが「可能なことである」というのを知ることです。

「知らない」ってのは怖いことです。

知らないことで損することはめっちゃ多いですから。

今日は僕の介護士時代の話をしましたけど、昔の僕なんかがまさに

「自分が損してることを知らない」

という状態ですね。

人間、知らないことには想像が及びません。

僕もいまだからこんな偉そうにドヤってますが昔は

「収入を増やしたければ仕事の時間を増やすしかない」

「お金を稼ぐには雇われるしかない」

という風にしか考えられませんでした。

何故なら、それ以外の世界を単純に「知らなかった」からです。

ただ、今だから言えることではありますが、自分が思ってる「当たり前」って案外当てになりません。

ちょっとでも別の世界の扉が開けば簡単に覆ります。

例えば「大人になれば遊ぶ時間が減るのは当たり前」と言われます。

というか僕もやっぱ昔はそう思ってました。

ただ今の僕はぶっちゃけ小学生の頃より暇人です。

子供の頃より今の方がよっぽど遊び呆けています。

学校に行く必要がないし、宿題もないし、何より子供の頃に比べてお金に余裕があるので好きなとこに行けるし好きな物を買うこともできます。

それを「自分にも可能」と思うか「どうせ一握りの人だけでしょ」と思うか「盛って話してんだろ」と思うか、それは個々の自由です。

ネガティブに考えたいなら自由なんか夢見ず、そのまま日常に帰っていつも通りに過ごせばいいだけ。

でも自由を目指したいなら、扉を開けなきゃいけません。

言うてもあんまイメージ湧かん、という場合はメルマガ講座の方をどうぞ。

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入門書もプレゼントしてるので

「こういう生き方してる奴がいる」

ということを知るキッカケにすることはできるはずです。

先ほども述べたように、まずは「知る」ことが第一歩ですので。

「自由に生きれるということを知る」とは言っても不自由に生きている人の方がやっぱ圧倒的に多いので、自由に対して世の中からはあんまりポジティブな話題は聞こえてきません。

「無理だよ」

「一部の人だけだよ」

「詐欺だよ」

みたいな。

ご他聞に漏れず、僕も言われてきた言葉です。

対応策としては、そういう意見は真に受けない方が良いです。

だってその人達は不自由に生きてるわけですから、その意見を参考にするって事は不自由な方向を目指すって事になるからです。
(あくまであなたが「自己中心的な生活を目指してる」前提で話してますが)

だったら普通に考えればその逆が正解。

人と違う生き方を望むなら何かを変えなきゃ駄目ですが、まず人と同じ事に安心を感じずに周囲の人と同じってことに苦痛に感じることがスタートです。

参考程度に^^

ではでは。

PS.

介護士してた頃ってそんだけ嫌な思いして辛さに耐え、色んなものを犠牲にしても月に手取り15万円とかでしたけど、今じゃ数日というか、調子よければ1日でそのぐらいの収入が発生していることがあります。

その度に

「あの頃の生活は何だったんだろう」

と感じます。

当時は当時で理不尽な職場でそれなりに頑張っていたつもりではありますが、あまりのギャップに時々切なくなりますね。

やっぱ時間労働ってお金にならないな、、、と。

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