僕らは
「何よりも仕事を優先しろ」
という、無意味な価値観を刷り込まれて大人になりました。
これは僕は囚人のように働いていた時期のお話です、、、。
僕はとある老人ホームで6年間介護士をしていました。
来る日も来る日も足腰が立たない利用者をベッドから車椅子へ抱えて移乗して、ご飯を食べさせ、それが終わればまた車椅子からベッドに寝かせてベッド上で1日100人近い利用者のオムツ交換して、時には風呂に入れて、、、
時間と労働力を切り売りして、時給1150円ほどもらっていました。
寒暖差が激しく、風邪を引きやすい冬の寒い日の事でした。
僕の出勤時間は朝だったんですが冬の朝の出勤はキツいです。
朝は温かくてぬくぬくの布団で気持ちよく寝ている所を携帯の目覚ましアラームで強制的に叩き起こされ、冷たいフローリングの廊下をつま先歩きしながら洗面所に向かい、暖かい装備を仕事しやすい恰好に着替えさせられ。
時には凍り付く車のフロントガラスを熱いお湯で溶かしてから職場へと向かいます。
職場に着くと、仲間達がまるで怨念のようにお決まりの言葉を漏らします。
「ああ、帰りたい。仕事したくない」
その言葉に対して僕は必ずこう答えました。
「よっしゃ!帰ろうや!焼肉を食べにいこう!」
仲間達は僕の返しに対してハハッと小さく笑います。
もちろん、僕も仲間達もそんな事出来ない事は解ってます。
何故なら僕たちは時間を売る『労働者』だからです。
定められた時間は労働力を提供しなくてはいけません。
まるでグリーンマイルを歩く囚人のように更衣室から利用者が待つユニットへの薄暗い廊下を歩きました。
「俺は、やっぱカルビやな」(ボソッ)
「お酒が飲めればなんだっていいや」
「でも、最強は焼肉よりカレーだよな」
「みんなで帰っても○○さん一人いれば大丈夫だよねww」
「俺の胃袋は宇宙じゃねえぞ!ww」
僕らの妄想物語は、勤務時間が始まるまでの間、続けられました。
「帰りたい」
「自由になりたい」
「恐怖から逃れたい」
そんな僕らの願いは監獄の囚人達が描く、外の世界への憧れに似ていました。
放った所で虚しく雑踏にかき消されるほど脆い願いです。
勤務時間が始まると恐怖の時間がスタートします。
僕が心の底から嫌だったのが綺麗事だけは守る職場の体質です。
僕の勤めていた職場は、他の病院や施設で受け入れ拒否された利用者が「最後の砦」として流れ着いてくる施設として有名でした。
スタッフに殴りかかってくるような暴力癖のある人や、皮膚が脆くてすぐに破れる人、施設から脱走して徘徊する人、などなど、普通のところでは手に負えないような人がとにかく集まってきてました。
スタッフ間では「姥捨て山」なんて言われてましたね。
昼も夜も関係なく、いつ、どのタイミングで、どの角度から、暴力癖のあるじいさんの拳が顔面に飛んでくるか分かりません。
小柄な女性スタッフにも容赦なく飛んできますし、実際にメガネを壊されたスタッフもいました。
でも、職場はメガネの弁償なんかは当然してくれません。
「利用者の気持ちを察せず、避けられなかった職員が悪い」
という事らしいです。
利用者の意思や気持ちが最優先という、介護業界特有の倫理観です。
獣がうごめく夜の森に放り込まれ、獣の声を遠くで聴きながら一夜過ごすようなもんです。
ビクビクとした恐怖はあっても安心も油断もありません。
仲間達も、そうした利用者の介助に入る時はピリッ!と空気を換えて緊張感を走らせます。
職場には「連絡ノート」というものがありました。
スタッフ間での情報共有に用いられるノートですね。
その日のノートにはこう書かれていました。
「どんなに体調が悪くても出勤せよ」
風邪を引くのは、引く奴が体調管理をしないのが悪い。
シフトの代わりが見つからない限りどんなに体調が劣悪でも出勤せよ。
体調が悪ければ、単に自分が辛い中で仕事することになるだけ。
その文字が目に入ってきた時。
どうしようも無い虚しさと、切なさが胸をえぐりました。
体調管理のプロのトレーナーが着くアスリートでも風邪を引いてしまう事はあります。
なんなら医者だって風邪くらい引きます。
個人の体調管理なんか限界があるし、たかが知れてたもんです。
しかし労働者は休む事は許されません。
ノートに書かれている事は間違いでは無く、正論です。
「時間」と「労働力」を売る者は、休む事や信頼を失う事は生活の崩壊へと直結します。
ある夜勤の日、僕は体調を崩していました。
始めは「ちと熱っぽいな」という程度の状態でした。
しかし、風邪を引いたスタッフの代わりにシフトに入ったり、その最中に風引いたスタッフがやってなかった仕事で何故か僕が説教食らったりと精神的ダメージもあって、結果として熱は最大で38.6℃まで上がりました。
意識が朦朧とし、夏なのに寒気が止まらずブルブルと震え、関節がギシギシと痛む中でも夜勤でした。
しかし、当然ながら僕らは休む事はできません。
「時間」を任されているからです。
「時間」を任される者は、同じ時間を提供できる者を探さなければいけません。
それを放棄した時、職を失い、お金を失います。
だからよっぽどの事が無い限り、誰もがそのルールを当たり前のように強要され
「ふざけんな!」
と思っていても、それを守り続けるしかないんです。
その日、僕は体調不良のせいもあり、お腹を下していました。
空腹でも無いのにギュルルル~とお腹が鳴りました。
「座り込みたい」
「横になりたい」
というか
「トイレにいきたい」
そんな欲求を描いていても、目の前の利用者はいつものように容赦なく僕らに襲い掛かってきます。
夜勤入りで変わりの夜勤者がいるわけでもなく、僕はカロナールという解熱剤を1包渡されただけで、トイレで吐いたり最悪な夜勤でした。
別のユニットでは新人の女の子が怒鳴られている罵声が僕のユニットまで響いていました。
助けにもいかないといけません。
仲間達ももしかしたら、体調不良や眠気を抑えて必死に頑張っているかもしれません。
僕だけが仕事を放棄するわけにもいきません。
ただでさえ、少ない人数で回してる現場から一人スタッフが減ってしまえば当然仕事は終わりません。
結局、僕がトイレに駆け込めたのは一時間半後の休憩時間でした。
まだまだ、労働時間の折り返しにもなってない、、、
そんな事を思い出しながら今日も、ふとスマホを開けば3,6000円のアフィリエイト報酬が発生していました。
ほったらかしのブログからの売り上げです。
売れた商品は1本でした。
ネット上に作られた仕組みの中で、トイレを我慢し寒さに耐え恐怖に脅えて過ごす16時間でようやく稼ぎ出せる額の3日分相当の収入が発生していました。
自動化の仕組みの中で生み出される収入は、僕の労働力や時間と関係の無い場所で発生するので、僕が何処でどんな時間を過ごしていてももたらされます。
朝はぬくぬくとベッドの中で二度寝して、昼頃にモソモソと起きてお腹が痛いからトイレに行って、リビングでこたつの中でニュースと映画を観て、窓で寒さを遮断された暖かい空間でウトウトと眠りについても
商品が1本売れれば夜勤1回分の数倍の収入が発生します。
3万6千円あれば何ができるでしょうか?
焼肉なんか、お腹が張り裂けるほど食べても5回くらい行けます。
カレーのディナーなら10日くらい連続で食べれます。
3日分、仕事のシフトを減らして家族とゆっくり過ごせます。
欲しかったけど我慢してた本やDVDがたくさん新品で買えます。
寒かった部屋に暖房と加湿器を設置できます。
初めて報酬が発生した時はえらく感動をしたもんですが、今回は別の感情が僕の胸を締め付けました。
「仕事ってなんなんだろ、、、?」
と。
仕事のルールはこういうもんだ!
社会のルールはこういうもんだ!
という、「誰かが作ったルール」を強要されて生きていく事を、当たり前だと信じ込んでる人がいます。
僕も間違いなく、そうでした。
しかし、それは監獄の中で暮らす為のルールです。
監獄の中で生かされる為のルールです。
ボコッと僅かに崩れた監獄の塀の隙間から、新鮮な空気と暖かい木洩れ日が差し込み、壁の外に自由な青い空が広がっている事は、意外と誰にでも手に届くところにあるもんです。
それでは枝井でした。