はじめまして。
当ブログ管理人の「枝井紅男(えだいくれお)」と申します。
まずは
「お前一体誰やねん」
的な疑問にお答えするべく、軽く自己紹介からしておきますね。
僕は元々どこにでもいるような普通に職場に勤める社会人でしたが、今は自宅でパソコン1台だけで生計を立てています。
ざっくりと言えばWeb上に文章を執筆して、そこからの収入でご飯を頂いております。
世間的な定義で言えば「ネットビジネス」という業種の中で、「アフィリエイター」とか「コピーライター」とかって呼ばれてる人種ですけど、そこら辺の説明がもはや面倒臭いんで親戚とか初対面の人には
「IT系の仕事してます(すっとぼけ)」
って答えてます(笑)
自分のブログに記事を執筆したり、セールスレターの執筆を代行したりしてきたんですが、読者さんに「その知識自体を伝授していく」的なお手伝いなんかもしてきました。
そんな僕がネットビジネスに足を踏み入れたきっかけは
「人並みの幸せ」
というものを味わってみたかったからでした。
人生で選べる選択肢の少なさ
そもそも「幸せ」って何でしょう?
これは哲学関連の識者の中でもとりわけ議論になる永遠のテーマみたいなもんですが、僕の中では幸せってもんを以下の様に定義付けています。
「選択権が常に自分にあること」
と。
これは何でかって言うと、人生って常に「選択」する場面が多いじゃないですか。
「朝ごはんを食べるか否か」
「どの高校に進学するか」
「誰と結婚するか」
みたいに、その選択肢の人生への干渉レベルは様々ですけど、僕らの人生には常にこうした選択肢が目の前にあるわけです。
そしてその選択肢の中にも、残念なことに「選べる選択肢」と「選べない選択肢」がというもんが存在します。
そう考えると、思えば僕の人生においては「選べない選択肢」の割合が普通の人より多い気がしてなりませんでした。
例えば親。
僕の父親はまともに働かない今で言うフリーターみたいな人で、その上、知的障害を持つ兄に暴力を働くような人物でした。
それが原因で僕が小4の頃に両親は離婚したんですが、それ以来母子家庭という環境で育ったので、あまり金銭的に恵まれた家庭ではありませんでした。
欲しかったゲームなんてほぼ買ってもらえませんでしたし、それ所か自分の部屋にテレビもありません。
当時僕が中学1の頃、周りがプレステのFF7の話題で盛り上がる中、僕は初代ゲームボーイでポケモンを1人でやっている、なんて状況は日常茶飯事です。
お陰様で僕のソフトの中にはレベル100のマタドガスが無駄に6匹ほど育ってしまいました。
このように、こどもの頃というのは「お金という選択肢」は親に依存しますので、どの家庭に生まれるかってのは、「選べない選択肢」のひとつというわけです。
そんな経緯から
「早く大人になって働いて自由に使えるお金が欲しい」
なんて事を思ってました。
ですが、いざ自分が大人になって働き出すと、思ってた程「選択肢の広がり」を感じなかったんです。
むしろ、「お金の選択権」がなかった子供の頃の方が楽しかったくらいです。
というのも、僕は大学を卒業して「介護士」という職業につきましたが、これが中々に縛りの多い仕事でした。
朝7時に出勤して、帰宅は22時とか。
夜勤であれば、昼3時に出勤して終わるのが翌日10時半。
職員が少なければ休みの日も出勤要請の電話が鳴り、認知の利用者が施設から脱走してればやはり休みの日に捜索に狩り出される。
さらに結構どうでも良い内容の会議に、休みや夜勤明けの日に関係なく毎月出席を余儀なくされる。
これだけならまだしも、社会人人になって数年後に僕の母親が脳出血で倒れて半身麻痺の身体になってしまいました。
これにより、たまの休日もほぼ母のリハビリ施設への送迎や、知的障害者施設に入所している兄の送迎などに潰れる日々。
「大人になってお金が稼げれば、、、」
と、子供の頃にワクワクしながら持っていた期待感と、いざ突きつけられたあまりにも違う現実に
「俺の人生って何でこうも選択権がないんだよ、、、」
そう絶望していました。
そう思うのも無理はないでしょ。
周りの友人を見ればほとんど親は二人いて、しかもまだ健康に過ごしてて、孫の面倒とかに嬉々として勤しんでいるわけです。
他にもフリーターで気楽に遊んでる友人も、実家が自営業なんでいざとなれば稼業を継ぐって選択肢があるわけでして。
自由を謳歌する「けしからん」人種がいた
あれほど期待感のあった大人になったのに、僕は日々の仕事に疲弊していました。
もともと「介護士」というものも、「やりたくて就いた仕事」ではなくて僕の場合は「それしか選択肢が無かったから」です。
僕が大学を卒業した時は就職氷河期と呼ばれていた頃で、大学時代に遊び呆けてまともに就活しなかった僕は介護職くらいしか就職先が無かったのです。
まあ、これは完全に僕の自業自得ですけども(笑)
特にこれと言ってやりたい仕事などもなく、とりあえず給料貰えれば良い位のノリでしたので、別に「お年寄りが好き」とか意識高そうな理由もなければ、そもそも排泄物の処理に楽しみを見出す趣味もありません。
なので、職員に殴りかかってくる認知症の利用者のケアがどれほど虚しくなるか。
生理学上で生きていると定義されているだけの物言わぬ寝たきりの利用者のケアにどんな意義を見出せば良いか。
仕事中は常にこんな感じの空虚感がありました。
そんなある日、ネットサーフィンしていると人生を謳歌している「アフィリエイター」なる存在を知りました。
「何々?片道切符だけ買って帰りの予定は決めずに遊びに行く?」
「海外旅行で遊んでる最中に日給300万発生だぁ?」
・・・いけすかねえ!!
夜勤の休憩中にスマホで彼のブログを読んだ時思わずこう叫びました。
もちろん心の中で。
こちとら夜な夜なお年寄りの糞尿処理して月に手取り14万貰うのがやっとなのに、遊びに行ってたら勝手に銀行口座の額が増えてるなんて、けしからん奴だと思いました。
悔しさのあまり、持ってるスマホをイチローのレーザービームばりの全力投球でぶん投げるところでした。
が、
そんな嫉妬心と同時に、強烈な憧れを抱いたのも確かです。
稼げる金額という「お金の選択肢」もそうですし、何より、それだけ稼げたら職場に勤める必要がないので、「時間の選択肢」も増えるのも当時の僕にとってはかなり魅力的なライフスタイルに映りました。
「これは俺もやるっきゃないでしょ!!」
こうして僕はこの業界に足を踏み入れる事になります。
お金と時間の選択権を手に入れるために。
アフィリエイトに取り組み1ヶ月で挫折w
アフィリエイトを始める決意をしたものの、何をすれば良いか分からない僕。
色々なアフィリエイターのブログを読み漁った挙句、当時大絶賛されていた「情報商材」なるものを買ってみた。
が、正直に言うと、僕の1度目のアフィリエイト挑戦は1ヶ月程であっさりと挫折しています。
なんだろ、購入した教材に取り組んでみたものの僕はズブの素人でしたので、
「はい、あなたがこの教材を購入して2週間経ちましたね!では今日は無料レポートを作ってください!」
とか教材で指示されても、当時の僕としては無理だったわけです。
その後は初心者でも稼げるとの事で、転売に手を付けてちょいちょいこずかい稼ぎをしながらも、ダラダラとアフィリエイトの情報は集めては続けていました。
(あ、転売は初心者の僕でも本当にそこそこ稼げました。笑)
ただ、ブログに記事を書くとか実際に稼ぎに直結するような行動はとっていませんでした。
そんなこんなしてる内に、プライベートでは4年ほどお付き合いさせて頂いた彼女とありがたい事に結婚という流れになりますが、これは破談になりました。
この話は長くなるんでまた別記事にするとして、原因としては完全に僕の力不足です。
ざっくりと事の流れを言うと
「籍を入れずに結婚式挙げてそのまま別れました」
・・・いや、中々に珍しいんじゃないですかこのパターン(笑)
今では笑い話に出来ますが、当時は自分の力の無さに相当凹みました。
「1人の人間もまともに幸せに出来なかった自分」
という存在に。
式には職場の上司も呼んでいたので、何となく職場にも居辛くなって、程なくして仕事も辞めました。
そこからは正直あんま記憶がないんですけど、1年近く何もする気力がありませんでした。
親や兄の送迎以外ではほとんど家から出てなかったですし。
負の力を原動力に人生を劇的に変えた
そんな自堕落な毎日を過ごして1年近く経つある日、ふと、見なきゃ良いのにツイッターで元カノの近況を見てしまったんですね(笑)
投稿によると何やら新しい彼氏さんも出来て早くも結婚に向けて準備しているとか何とか。
正直「ホっ」としました。
いや、負け惜しみとかじゃなく本心からそう思いましたね。
と言うのも、彼女も20代後半でしたし、僕と言う人間に4年間も使わせてしまった事に、やはり「申し訳なさ」みたいなものを感じていたからです。
ですので、新しく彼氏さんも出来てきちんと前に進んでいる事を知って、僕的には胸のつかえが取れたというか、とにかく良かったという印象です。(語彙力)
ツイッターの投稿にも幸せオーラ出まくってましたしね。
それと同時に
「俺は一体何やってんだ?」
と。
鏡で自分を見てみると髪の毛も髭も伸びっぱなし。
外にも出ず飯もろくに食わないから身体もガリガリ。
やってる事は母親と兄の送迎で、それ以外は家でアマプラ見ながらパワプロアプリ。
今思うと30前の人間として終わっとるわwww
正直この頃は、特に生きてても面白い事はないし、自殺する程の勇気もないから生きているってだけで、いつ死んでも構わないって感じでした。
ですが、この日からふつふつと
「俺の人生ってこんなもんか?」
「いつまで燻ってんだよ?」
「何で俺だけこんな不遇な人生送らなきゃならねーんだ?」
こうした思いが湧いてきました。
そこで以前中途半端で挫折したアフィリエイトに再びチャレンジし始めました。
2度目の挑戦は良くも悪くも「お金を稼ぐ」というものに執着してひたすら行動していきました。
エネルギー論を勉強している人だとこうした行動原理はあまり良いエネルギーではないらしいんですが、同時に行動や思考が一貫するので成果は出やすい状態なんだそうです。
スターウォーズのダースベイダー的な感じなんだとか。笑
ただ、僕的にこの理論を聞いた時は妙に納得感を覚えましたね。
「なんでいつも俺だけこんな選択権がねえんだよ!何がなんでも絶対稼ぎまくる!」
僕の中ではこれは既に決定事項でしたので、才能がどうとか、持って生まれた環境がどうとか、そんなもんはもはや関係ありませんでした。
「やる」or「超やる」
シンプルにこの選択肢しかありませんでした。
幸い、絶賛ニート中でしたので作業する時間はたっぷりありました。
ただ、知識が乏しかったので、少なくなってきた退職金の半分以上を情報商材にブチ込み、貪るように読み漁りました。
僕がやっているのは「情報商材アフィリエイト」というジャンルで、一般的には初心者には難しいと言われているジャンルですが、僕はひたすら情報を扱う分野のみを行ってきました。
理由は単純に、一番稼げるからです。
全盛期では完全匿名のブログを3名義分運営して狂ったように記事書きまくってました。笑
ひたすら行動してる期間も、
・テンプレートいじってたらブログ自体が真っ白になる
・ブログがウィルスにハッキングされて消える
・セキュリティソフト入れたら何故かファイルが消える
とか諸々、邪魔する要素が起こりましたけど、思考が一貫していましたので
「おい運命、そこをどけ、俺が通る」
とか思って、以前の僕なら間違いなく挫折してるであろう事が起きても意に介さない謎の無敵感がありました。
この業界に足を踏み入れたのが2013年ですので、正直な話、気付くと結構な金額を稼いできました。
ただ、月に100万とかは今の時代誰でも普通に稼げる額ですし、そうしたアピールをする人はネット上で腐るほどいますので、もはや「こんだけ稼ぎました」とか言って報酬画像を載せるみたいな事はもうしませんけどね。
こうして僕は
「選択権が常に自分にある状態」
を手に入れました。
「選べない」と「選ばない」は全く違う
かくして僕は以前に比べて
「金」
「時間」
「人間関係」
「場所」
その他たくさんの選択肢を選べるようになりました。
以前はあんなに羨ましく見えた友人達と比べても年収であれば彼らの数倍はあるでしょうし、会社に8時間も拘束される必要もなくなりました。
僕の周りの友人はほもうとんど結婚していますが、そんな彼らが家族の為に車を代えたとか家を建てたとかいう話をしてくれます。
僕の場合、彼らの所有する車であれば明日にでも買えるでしょうし、彼らの建てた家も2、3年あれば買えると思います。
もちろんローンじゃなくてキャッシュで。
ただ、僕は豪遊したいわけじゃありませんし、めちゃくちゃ金のかかる趣味があるわけでもないです。
タワーマンションに住んで夜景を見ながらワインを飲みたいとか、ポルシェで女の子をはべらせたいとか、そういう「分かりやすい」セレブ生活には今のところ興味がありません。
趣味と言えば学生の頃からやってるストリートダンスとプラモデル作りとスマホゲーム位ですしね。笑
住む所は以前のアパートに比べたらそれなりにグレードは上がってますが、タワーマンションとかのレベルまではなくて「ちょっとお洒落なデザイナーズマンション」位で、手取りで40万くらいのサラリーマンなら全然住めるレベルです。
ですので金銭感覚的なものも普通の人となんら変わりません。
普通にランチで2000円超えれば
「いや、高くね?」
って思うレベルですし。笑
あくまで欲しいのは「選択権が手元にある状態」なわけです。
前述した車とか家とかでも「買いたいけど買えない」のではなくて「買えるけど買わない」という選択肢が取れることが僕的には非常に喜ばしいわけです。
だから僕はこれからも選択肢を増やし続けるし、かつての僕みたいに「選択権がない人」にも是非、あるべき人生というものを取り戻して欲しいと思っています。
未来は力ずくで捻じ曲げられる
これは経験からくる持論ですが、
僕は一般的に言われる「運命」みたいなものは行動によって強引に捻じ曲げられると思っています。
SFとかの世界で言うところの
「この時代の出来事を変えると未来が変わってしまう!」
的なお約束でおなじみのアレを「タイムパラドクス」と言いますが、「タイムパラドクス」という奴は現実でも起せると言っているのです。
理由としては、この時代に普及している「インターネット」という存在があるからです。
僕のケースだと仕事で1日8時間奪われて、そこから親や兄の関係の事で休日が潰れて自分の時間がありませんでした。
これはある意味、
・「兄が知的障碍者である」
・「1人親が半身麻痺になる」
という運命と言えるんですが、2013年当時の僕が何も行動を起さなければ多分、今もウダウダと人生に不満も漏らしている世界線だと思います。
この何も行動しなかった世界線を「未来A」と呼ぶと、今現在の僕は行動を起した「未来B」にいるのが現実なわけです。
僕自身は今、基本的に午前中だけ仕事をして、午後からは趣味のプラモデル作成やダンスの練習をする毎日を送っています。
こうした趣味の世界からは、母が倒れてから5年ほど遠ざかっていたのですが、収入と母の状態も安定してきたから復活する事ができました。
むしろ趣味のために広い部屋借りて、その一室をダンスと筋トレ用に多少改造していますし(笑)
逆に言えば、こうした事も行動を起さなければ絶対に訪れるはずのない未来でしたでしょうから、自分でビジネスを立ち上げようと決意に燃える当時の僕に会えるなら
「今のお前、結構イケてるぜ」
と、お褒めの言葉をかけてあげたい位です。
そんな僕だからこそ「運命」なんてもんは、自力で強引に捻じ曲げる事が出来ると思っているわけです。
言い換えれば、
「自分が望めばどんな人生でも送れる」
と言っているんです。
今現在、何らかの問題を抱えていて
「人生って面白くねぇな~」
と思っている人にも、このブログを読んで元気を出してもらえたら良いなと思って日々情報の発信をしています。
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